「なぜ肩こりが腰に影響するのか」は気のせいじゃなかった
肩がこると腰も重くなる。腰を動かしてもらったら肩が楽になった——施術を受けたことのある方なら、こんな不思議な感覚を経験したことがあるかもしれません。
「それって気のせいじゃないの?」と思われるかもしれませんが、実はそうではありません。上半身と下半身は、脊髄を介した神経回路によってたしかにつながっており、片方への刺激がもう片方の神経の興奮レベルを変化させることが、科学的に示されています。
今回ご紹介するのは、当院所長・新井が共著として参加した研究論文です。この研究は、「上肢(腕)の筋肉に特定の方向で静的収縮を行うと、同側の下肢(ふくらはぎ)の神経反射がどう変わるか」を客観的に計測したものです。
今回の論文
論文タイトル(原文): The effects of opposite-directional static contraction of the muscles of the right upper extremity on the ipsilateral right soleus H-reflex. Shiratani T, Arai M, Kuruma H, Masumoto K. Journal of Bodywork and Movement Therapies. 2017;21(3):528–533. DOI: 10.1016/j.jbmt.2016.08.004
タイトルを日本語に訳すと
「右上肢筋群の反対方向への静的収縮が、同側(右)腓腹筋のH反射に与える影響」
となります。
まず「H反射」のおさらい
前回のブログでも触れましたが、H反射(ホフマン反射)は脊髄の興奮レベルを客観的に測定できる指標です。
末梢神経に弱い電気刺激を与えると、その信号が脊髄に届き、脊髄の運動ニューロンが反応して筋肉を収縮させます。この反応の大きさ(H波の振幅)を計測することで、「いま脊髄はどれだけ興奮しているか」を数値として評価できます。
慢性的な肩こりや腰痛では、この脊髄の興奮レベルが過剰に高まっています(中枢感作)。逆に言えば、H反射が「抑制方向に変化する=脊髄が落ち着く」ことは、中枢感作の緩和につながる可能性を意味します。
この研究で何がわかったか
研究のデザイン
研究では健常な成人を対象に、右の上肢(腕・肩まわり)の筋肉に対して**「反対方向への静的収縮(Opposite-directional Static Contraction)」**を行いました。
「反対方向」とは、PNFのアプローチで用いる概念で、通常の動きとは逆の方向へ等尺性(関節を動かさず)に力を発揮することを指します。これにより、通常の収縮とは異なる方向の固有受容器・神経回路を選択的に活性化させることができます。
そして、上肢への介入が終わった後に、同側(右)の下肢——具体的にはヒラメ筋(ふくらはぎの深部筋)のH反射がどう変化するかを計測しました。
結果:腕を動かすと、足の脊髄反射が変わった
研究の結果、上肢に行った静的収縮の「方向」によって、下肢のH反射が異なるパターンで変化することが明らかになりました。
特定の方向への収縮では、収縮終了後に下肢のH反射が**抑制方向(脊髄の興奮が落ち着く方向)**に変化しました。これはいわゆる「遠隔後効果(Remote After-Effect)」と呼ばれる現象で、刺激を加えた部位から離れた場所の神経系が変化する、PNF研究の核心的なテーマです。
なぜこれが起きるのか
この現象の背景には、脊髄内の**固有脊髄ニューロン(Propriospinal Neurons)と皮質脊髄路(Corticospinal Tract)**を介した神経連鎖があると考えられています。
私たちの脊髄は、単に「脳からの命令を筋肉に伝えるだけの電線」ではありません。脊髄内部には、頸髄・胸髄・腰髄を縦断して結ぶ固有ニューロンのネットワークがあり、上半身の情報が下半身の運動ニューロンに影響を与え、その逆も起こります。
上肢の筋肉が特定の方向に収縮すると、この脊髄内ネットワークを通じて情報が下位の腰髄・仙髄へと伝わり、下肢のヒラメ筋を支配する運動ニューロンの興奮レベルが変化します。さらに、大脳皮質の運動野も関与し、随意収縮によって皮質脊髄路が活性化されることで、上位から下位の脊髄全体の興奮レベルが調整されます。
重要なのは、収縮の「方向」がこの変化のパターンを決定するという点です。同じ腕を動かす動作でも、どの方向に力を発揮するかによって、脊髄へ届く固有受容信号のパターンが変わり、遠隔部位への影響が「促進」にも「抑制」にもなり得ます。これこそが、PNFにおいて「方向」と「抵抗の強さ」にこだわる理由の神経生理学的な根拠です。
慢性的な肩こり・腰痛への臨床的意義
①「問題のある部位に直接触れない」アプローチの根拠
慢性化した肩こりや腰痛では、患部に直接強い刺激を与えることが逆効果になる場合があります(痛みの誤学習・中枢感作の強化)。
この研究は、腕への適切な方向の静的収縮が、腰〜下肢の脊髄レベルの興奮を抑制方向に調整できる可能性を示しています。つまり、腰が痛い患者さんに対して、腰ではなく腕へのPNFアプローチから施術を始めることで、神経系を安全に整えてから本来の治療に移行するという戦略が、科学的に裏付けられます。
②「なぜ遠くを動かすと楽になるのか」の説明ができる
「腕を動かしているのに、なぜ腰が楽になるのですか?」という疑問に、当院ではこの研究を根拠として答えることができます。それは偶然でも気のせいでもなく、脊髄内の固有ニューロンネットワークを通じた、神経生理学的な連鎖反応です。
③ 「どこに」「どの方向で」が施術の精度を左右する
この研究が特に重要なのは、収縮の「方向」が脊髄への影響を変えるという点です。これは逆に言えば、方向を間違えれば期待する効果は得られないということでもあります。
当院では、こうした研究の知見をもとに、「どの部位に」「どの方向へ」「どの程度の抵抗で」アプローチするかを一人ひとりの状態に合わせて決定しています。「なんとなく気持ちいい刺激」ではなく、神経系に対して意図した変化を引き出すための、精度ある施術を目指しています。
まとめ
Shiratani, 新井ら(2017)の研究は、「上肢の筋肉に反対方向への静的収縮を行うと、同側下肢のH反射が変化する」ことを客観的に示しました。
これは、上半身と下半身が脊髄を通じて神経的につながっており、適切なPNFアプローチが「離れた部位の脊髄興奮レベルを調整できる可能性」を持つことを意味します。慢性的な肩こり・腰痛の背景にある中枢感作に対して、患部への直接刺激に頼らないアプローチの神経生理学的根拠として、今後のリハビリテーションや施術の実践において重要な知見です。
「ほぐしても戻る」「患部を触られると余計に痛い」という方に、この「遠隔効果」を活用した施術が新たな選択肢になるかもしれません。
参考論文
- Shiratani T, Arai M, Kuruma H, Masumoto K. The effects of opposite-directional static contraction of the muscles of the right upper extremity on the ipsilateral right soleus H-reflex. Journal of Bodywork and Movement Therapies. 2017;21(3):528–533. doi: 10.1016/j.jbmt.2016.08.004
- Arai M, Shiratani T. A comparative study of the neurophysiological remote effects of different resistive static facilitation techniques on the flexor carpi radialis H-reflex. Current Neurobiology. 2012;3(2):98–102.
- Arai M, Shiratani T. The Effects of Different Force Directions and Resistance Levels during Unilateral Resistive Static Contraction of the Lower Trunk Muscles on the Ipsilateral Soleus H-reflex in the Side-lying Position. Journal of Novel Physiotherapies. 2016;6(3):100090.
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当院の取り組み
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